「豊台」という地名の由来については、二つの説が伝わる。一つは、金代の「豊宜門」とその外にあった「拝郊台」からそれぞれ一文字を取って「豊台」と名付けられたという説である。もう一つは、発音の類似性に基づく説で、金代に「遠風台」、明代に「風台村」と呼ばれる地があり、「豊台」という名は「風台」の中国語の発音から派生したとするものである。
豊台区は長い歴史を持ち、豊かな文化資源に恵まれている。3000年以上前、燕の都である蓟城が蓮花池の水系を基盤として建設された。有名な歴史地理学者・侯仁之氏は、「先に蓮花池があり、その後に北京城が築かれた」という説を提唱している。860年以上前には、金中都の繁栄が北京建都の歴史の始まりを告げた。
豊台区の名所の一つである盧溝橋は、華北地方に現存する最も古く、最も長い11幅の石造りアーチ橋で、「マルコ・ポーロ橋」として世界的に知られている。また、宛平城は明代に建設され、華北地域において唯一保存状態の良い両門式城郭である。南苑は五つの王朝の皇家御苑として、古都の生態文化を育む重要な役割を果たしてきた地域である。豊台区ではまた、戯曲や花文化の伝統を誇り、「中国戯曲文化週」や「花開豊台端午文化遊園会」といった特色ある文化イベントが、近年注目を集めるようになった。
さらに、豊台区では革命の精神を象徴する文化遺産が伝わっている。長辛店は中国労働運動における最初の高まりで最も規模が大きく影響力のある京漢鉄道労働者のストライキを見届けた所であり、初期の共産主義組織が誕生した場所でもあるため、「北方の赤い星」と称されている。盧溝橋と宛平城は七七事変の発生地で、全民族抗戦の号角が鳴らされた歴史的な場所であり、国家的な重大イベントの記念地であり、愛国教育の拠点でもある。